La Vie
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La Vieal denteはなれ でしたが 母屋 に昇格しました

La Vie の 旧宅
「アル・デンテ al dente」
は Doblog 村にありました

そのちいさな ドブログ村が、 2009年2月、ダムのどん底に沈んでしまいました

そんなわけで新しい地に旧家を移築し、現在は、旧宅の壁に掛かっていた絵をもう一度かけ直しているところです

        

旧家の移転先:
  duologue

   (一部画像を修復中)


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「仰げば尊し」もうこれは歌われていないのですか?
”ん十年ぶりの 「仰げば尊し」”というタイトルで、5月24日から6月3日にかけてブログを書かれたYOOさん (平野杳=HP:二人静)。親しくさせていただいている神戸在住の女流作家さんです。

勝手にそのブログからお話を引用させて頂いております。お許しのほどを・・・。(笑)


▽この歌を最後にうたったのは、はて何年前?
昨日、親しくお付き合いさせてもらっている年長の師匠友人の集まりの最初に、「仰げば尊し」をうたったんですよ。
うたっているうちに、幼いころからお世話になった先生がたの顔がつぎつぎに浮かんできました。
中学のときに技術家庭科の時間に横の友達とどうでもいいことを話していては「こら、手が動いとらん!」と頭をげんこつでぐりぐり罰された先生、「ずうっと先々まで、お山の大将にだっけはならんようにな」とにこにこ顔で言われた理科の先生も、やっぱり中学の先生でした。

・・・♪たがいに むつみし ひごろの おん
    わかるる のちにも やよ わするな
    みをたて なをあげ やよ はげめよ
    いまこそ わかれめ いざさらば♪・・・


涙がつつ~っと ぼろぼろ
なんで泣くんだろうね・・・・・

で、1番の歌詞を
"おもえば ひととし このとしつき" 
って覚えこんでいたんですが、
違ってまして、正しくは
"おもえば いととし このとしつき"
だったんですね。
いと疾し とっても速い、 だったのね、
と、何十年ぶりかに気づいた、土曜日の午後でした。


▽歌詞が問題なんだそうでして、とくに2番の、
"身を立て名をあげ やよはげめよ”
のところが、立身出世を薦めているのでだめだと。

全体の流れの中から、一部分だけをとりあげて、
難癖をつけるのって、どうかな、と思いますね。

そんなわけで、歌っても、2番を歌わないで、1番と3番だけを歌う場合が多いんだそうです。作詞者に失礼だよね~て、突っ込みをいれたいところです。


▽曲は、スコットランドの民謡だと、どこかで聞いたような気がしますが、当日いただいた譜には、作詞も作曲も未詳、とありまして、歌詞は、大槻文彦、里見義、加部巌夫が詞を練り上げたともいわれる、と参考にかいてありました。明治17年3月、「小学唱歌集(三)」に発表されたんだそうです。


"身を立て名をあげやよはげめよ"の歌詞が、立身出世をすすめているのでだめ、っていう意見、ずうっともやもやしていたんですよ。そういう意味とちがうんじゃないかな、でも、ちがうという根拠がないし、雰囲気だけで反論できないし、と・・・

今日、たまたま開いた『孝経』のはじまりに、あった!!んです。

・・・・・ 子(し)のたまわく、それ孝は徳のもとなり 教えのよって生ずるところなり ・・・・・ 身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは 孝の始めなり 身を立て道を行い 名を後世に揚げ もって父母を顕すは 孝の終りなり ・・・・・

立身出世が目的なのではないのですね。

"身を立て名を揚げやよはげめよ" は、おそらく、この『孝経』の一節をもってこられたんじゃないかな、と思うのですが・・・

ま、もっとも、『孝経』も『論語』も時代遅れだと言われるかもしれない今日このごろではありますが。


               ――以上YOOさんのブログから引用

     **********************

なかなか、難しいお話ですね。 それにこの「孝心」の訓訳だけでは、読解に難しく、もっとやさしい現代訳か注釈をつけてもらわないと、YOOさんの言わんとしているところが理解できません。少なくとも私のカボチャ頭では・・・。(笑)

そこで、もう少し私の頭の程度に合わせて分かりやすく解説してくれている塩谷温著「孝経新釈」(致知出版社)から抜粋・要約し引用した「孝心」を、東洋思想啓蒙家 中小企業診断士 白倉信司氏のHPより援用させて頂きました。

もっとも、問題になっている部分については、【通釈】の中の最後の述部だけなのですが、取りあえず、『孝経』の「開宗明義章第一」から、この話の経緯を分かりやすくするため最初の設問の主部も含め、答えとなる述部との二つに分けました。

※蛇足ながら、下の文中、仲尼(ちゅうじ)、夫子(ふうし)について加筆しますと:
夫子とは先生の尊称・敬称です。中国では夫子は孔子の敬称でもあります。因みに、孔子の姓は「子」、氏は「孔」、諱(いみな)は「丘」、字(あざな)は「仲尼」。そして孔子という時の子は先生という意味で、孔子の姓の「子」ではありません。すなわち、孔子(孔先生)を更に丁寧に言う時、孔夫子(孔先生)となります。
一般に先生の敬称としての夫子にあたる適切な日本語はありませんね。敢えて言うと大先生ですかね?あまりしっくりしませんが。また、尊師なんていうと例の新興宗教の教祖を思い出しますし・・・。(笑)

【訓読】(主部)
仲尼(ちゅうじ)居(きょ)し、曾子侍す。子曰く、「先王至徳要道あり。以て天下を順(したが)え、民用(もっ)て和睦し、上下怨み無し。汝之を知れりや」。曾子席を避けて曰く、「三不敏、何ぞ以て之を知るに足らん」。

【通釈】(主部)
孔夫子がおひまで家に居られた時、お弟子中の徳行家として名高い曾子が、そのおそばにかしこまって坐っていた。やがて夫子は、個人的に教育を施すよい機会とばかりに、曾子に向かっておもむろに口を開かれた。
「むかしの立派な君主たちは、極めて優れた御徳(おんとく)を身に備え、最も肝要な道を始終ふみ行わせられて、常に実践躬行(きゅうこう)によって、天下の人々を教え導き給(たま)い、人民はそのおかげによって、互いに和らぎ楽しみ、睦まじくし合うことが出来たので、上(かみ)は天子諸侯より、下(しも)は一般の人民に至るまで、皆相敬(あいけい)し相愛(あいあい)して、各々(おのおの)その身分に安んじ、天命を楽しんで、人を怨み己をかこつような者は少しもなかったということであるが、いったいそういう泰平のすがたを現出した源(みなもと)をなすところの、至徳要道とは、具体的にいえばどんなものであるかを、お前は知っているか」とおたずねになった。
曾子は、さてはまたありがたい御教(みおしえ)をうけることができることと、直ちに立ち上がり、今まで坐っていた席から少し退いて、「私、参(しん)の如き生来(せいらい)の愚鈍な者は、どうしてそのような高尚深遠な道徳などを心得ておりましょうか」と恭しくお答え申し上げて、是非ともご教示を賜りたいものでございますという熱心な態度を示した。
夫子は、その謙虚なしかもまじめな態度が、益々お気に召されたかのように、いよいよ一歩を進めて、詳細なご説明を試みられようとしたが、先ず第一に、この問題の根本義であるところの孝という字について、特に説きおこされた。



【訓読】(述部)
子曰く、「夫(こ)れ孝は徳の本(もと)なり、教えの由(よっ)て生ずる所なり。復坐せよ、吾汝に語らん。身体髪膚(はっぷ)、之を父母に受く、敢えて、毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは、孝の終わりなり。夫れ孝は親に事(つか)うるに始まり、君に事うるに中(ちゅう)し、身を立つるに終わる。大雅に云う、「爾の祖を念(おも)うことなからんや。その徳をのべ脩(おさ)む」と。

【通釈】(述部)
「およそこの孝というものは、あらゆる徳と称せらるるものの根本義をなすものであって、前に述べた至徳というものも、畢竟(ひっきょう)は孝に外(ほか)ならぬものである。故にこの至徳の根本が確立して後に始めて人のふみ行う道も生じてきて、従ってすべての教化というものも、これから起こってくるものである。即ち至徳といい、要道というも、皆この孝ということ以外にはないのである。まあもとの席にお坐り、ゆっくりとくわしくお前に説ききかせてあげようから」と仰(おお)せられて、最初には、人の一生中を通じた、孝道の大綱を挙げられ、順次にその一部一部の細かい説明に入(い)らせられるのであった。
先ず一番手近の所を捉えて語を続けられるよう、「さればといって孝というものは、必ずしもそんな高尚深遠なものと思い込むには及ばないのである。現に吾々がここに保持しているところの身体手足の大部(たいぶ)から、髪の毛皮膚(はだ)の細部に至るまで、これことごとく父母から賜(たまわ)り受けたものである。言い換えれば、父母の身体髪膚(はっぷ)の延長をおあずかり申しているようなものである。故にいやしくも人の子たる者は日常不断、注意に注意を重ねて、これを完全に保護し維持してゆくことを心がけねばならぬ。かの飲食物等の不摂生にもとづく疾病や、行動の無分別による毀損傷害の如きは、取りも直さず、わが親を病(や)まし傷つけるのと同様であるから、最も深く戒むべきことである。しかして又実際に、この事がそのまま孝道の第一歩に外ならぬのである。
孝道は誠に広大なものであるというのも事実ではあるが、同時に又極めて卑近なものであるというのも又事実である。この卑近な第一歩から踏み出して、社会に進み立ち、個人としても国民としても、円満完全な人格を備え、業務に精励(せいれい)して、まことに隣里(りんり)郷党(きょうとう)の模範と称えらるるのみならず、千載(せんざい)の後(のち)までもその名を青史(せいし)に輝かすと同時に、自らその父母の名をも伝え顕わすようになれば、わが身と共に父母の名誉もこの上ないことで、こうしてこそ孝道も十分に成就したものといって宜しいのである。
更にこれを取りまとめて言ってみると、孝道というものは、先ず第一に家庭にあって日夕(にっせき)両親にまじめに奉養(ほうよう)することから始まり、進んでは外にあって天子の忠良(ちゅうりょう)なる臣民として、よく身分に応じて職責を尽くし、国家の進運に貢献することに懸命となり、かくて忠孝両全(りょうぜん)の道を遂げた申し分のない人物となって、ここに完了を告げるものである」
と仰せられ、なおこの道理を一層深く理解させんがために、詩経の大雅(たいが)の一節を引いて示された。その詩の意味は、「およそ健全なる良心をもっている人々は、誰しも必ずわが家を興し伝えてくれた父母の偉業を思慕しないものがあろうか。そしてその追憶の念を動機として、自分もまたこれに対して恥じないように、家名を上げねばならぬとの自覚を強め、やがてわが身の徳を修め、人格をも高めてゆくこととなるのである」というのでやはり父祖に対する孝心が本となって立派な人物となる所以を述べたものである。
――塩谷温著「孝経新釈」




要するにですね・・・
 "身を立て名をあげ やよはげめよ” は、
社会に進み立ち 己れの人格を高め、そして村民の模範となればその名は後々の世にいつまでも輝くことになります。そうなれば家名を上げ、我が身と共に父母の名も広く同郷・近隣の村々に知れわたるところとなり、父母の名誉もこの上ないものとなるでしょう。こうあってこそ孝心を成したと言えるのですよ・・・。 
――ということなのでしょうか。

ふむ、ふむ。やはり父祖に対する「孝心」がもととなって立派な人物となる所以(ゆえん)を述べたものであるのでしょう。


それにしても、YOOさんはすごいところから仮説の論理を引っ張ってきましたね。凡人には、「立身出世」のことだからいけないと言われれば、何の疑いもなく、「ああそうですか」で終わってしまうところです。
また一つ賢くなりました。YOOさんありがとうございました。

> ま、もっとも、『孝経』も『論語』も時代遅れだと言われるかもしれない今日このごろではありますが。(YOO)

この『孝経』は、かつては詔勅によって、一家に一冊ずつおかれていたそうですが、YOOさんが、言われるように今は昔の話ですね。

でも、父母を敬うこと、いつの時代においてもとても大切なことですよね。

されど・・・・・
「親孝行――したい時に親はなし」ですか。 嗚呼・・・。




この記事に対するコメント
学生時代はなにやらよく意味もわからず
歌ってましたが、やっぱりサビの部分になると
グッと来るものがありましたねー。(笑)

今は「乾杯」とか歌う学校もあるようですねっ。
【2009/06/18 21:50】 URL | TOMO #- [ 編集]

仰げば尊し
私もよく意味もわからないうちに
考えもせず涙流しながら歌ってましたね。
完全に立身出世だと思ってました。
道徳の時間もありました。
【2009/06/19 09:09】 URL | ぷりんちゃん #- [ 編集]

duoさま、おひさしぶりです。仰げば尊し、をとりあげてくださってありがとうございます。しかも、こんなに丁寧に解説してくださって・・・ああ、面目ないです。とってもわかりやすい解説文ですね。
「論語」「小学」を、人生の大先輩の方がたと一緒に勉強させてもらっているのですが、それぞれに、時代がかわってもかわらない、人の心の心柱になるところがありますし、また、時代にあった解釈をゆるすおおらかさがあるように思うんですね。
あれから、ときどき歌っています♪
【2009/06/19 11:31】 URL | YOO #Of3.Jk7k [ 編集]

◆TOMOさま
TOMOさん、おはようございます。
今は卒業式で昔からの「仰げば尊し」や「蛍の光」を歌うことは
ほとんどないようですね。
今よく歌われているのは、
中学校の校長先生が作詞した「旅立ちの日に」や
合唱コンクールで歌われる「この地球のどこかで」や「巣立ちの歌」、
テレビアニメ『みゆき』で人気が出た「おもいでのアルバム」など
現代版が多いようですね。
【2009/06/20 08:52】 URL | duolavie #- [ 編集]

◆ぷりんちゃん
ぷりんちゃん、おはようございます。
中学生や高校生のときには、「君が代」にしても、
この「仰げば尊し」にしても歌詞の意味が難しくて
理解できていませんでした。
今頃になって、なるほど、こういう意味だったのか
なんて思うことがあります。
「身を立て・・・」も立身出世につながると言えば
そういうことになるかも知れませんが、
この孝経から見ますと、家名を上げ親に孝行するために・・・、
という意味合いが色濃いかもとも思いますね。
【2009/06/20 08:57】 URL | duolavie #- [ 編集]

◆YOOさま
YOOさん、おはようございます。
コメント欄に書きかけたのですが、
余りにも長くなり、TBして記事にしました。<(_ _)>

「論語」「小学」を勉強されているのですか?
ますます博をつけていらっしゃるのですね。(笑顔)
確かに時代を越えて通用するところがスゴイですね。
っていうか、人間の考え、行動など、その習性は昔も今も
なんら変わっていないということなんですよね。
これから先も人間が人間として生きていく以上、
その根源となるものは何も変わることなく受け継がれて
行くということでしょう。

倫理・哲学的な非凡な才能を磨きすぎて、
凡人との距離が開きすぎてしまい、
「愚かな者よ」と、置いてきぼりにすることなく、
これからも末永くお付き合い下さいよ。(笑)
【2009/06/20 09:04】 URL | duolavie #- [ 編集]


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