La Vie
悔やんでばかりいても人生、豊かに生きても同じ人生。人生は一度だけ。どうせならプラス思考でいきましょうよ!
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La Vieal denteはなれ でしたが 母屋 に昇格しました

La Vie の 旧宅
「アル・デンテ al dente」
は Doblog 村にありました

そのちいさな ドブログ村が、 2009年2月、ダムのどん底に沈んでしまいました

そんなわけで新しい地に旧家を移築し、現在は、旧宅の壁に掛かっていた絵をもう一度かけ直しているところです

        

旧家の移転先:
  duologue

   (一部画像を修復中)


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後半の半年は何事もなく、と願って・・・
2月にdoblogのハードウエアが潰れて、どっぷり浸かっていたブログの世界から放り出されたのを皮切りに、今年前半のduoさんちは近年にない激動の半年となりました。

3月には家内が膵臓炎を疑う症状で苦しみ、検査を受けました。結果は膵臓炎ではなくホッとしたところですが、一連の検査のなかで大腸ポリープがみつかりました。

ちょうど1年前にも入院して摘出手術をしたのですが、またまた手術をしないといけません。しかしながら、この後いろいろあって入院する時間が取れず、いまだ大事に(笑)抱えております。

4月には、ブログにもあげましたが、私が気管支肺炎を患い10日間の入院を指示されました。しかしながら、仕事のこともあり、ごり押しをして通院に切り替えて貰って療養しました。

4月の下旬には伜の海外出張でその間、お嫁ちゃんが新生児と2歳半の孫を連れて来神。その直後に新型インフルエンザが神戸で蔓延し、孫たちは渦中に飛び込んできたようなもので、新生児を抱えているだけに滞在中はほとんど外出することが出来ませんでした。

そんな中、上の孫が明るいところで異状に眩しい顔をするので、6月13日に眼科へ。特に何も症状はないと言われ、ひと安心しました。ついでに私たちも前回の検査から半年経つので診て貰うことにしました。

ところが、これが驚きです。自覚症状は全く有りませんでしたが、両眼とも網膜剥離を引き起こしていると・・・。それも右眼は3箇所、左眼は4箇所に裂孔があり、今すぐにもレーザー手術をしないといけない状況だが、ここには設備がないので、月曜日まで安静にして、紹介状をもって大きな病院へ行って下さいとのこと。

そして、休み明けの6月15日月曜日、さっそく紹介を頂いた病院に行って参りました。一部はもう剥がれているのですぐに手術を行いますと言われ、右眼に400発、左眼に450発のレーザーを照射することになりました。

両眼とも眼球の横の円周部分に裂孔が集中しており、今回これらの裂孔は焼き付けて修復(?)しましたが、左右同じような状態で端のほうに裂孔があるということは、網膜は常に引っ張られている状態なので、また別の場所が裂ける可能性があると言われました。網膜剥離が繰り返し発症する事になると、レーザーでは治療しきれず、最終的には観血手術になるそうです。

この手術を受けた日、海外出張から帰ってきた伜とともに孫達は千葉の自宅に帰りました。私は急遽病院に行く事になったので、残念ながら孫達とのお別れが出来ませんでした。

お嫁ちゃんは、半年ぐらい先には再び伜の出張があるので、「また来ます」と言って、細々しいものを一部おいて行きました。孫達の住んでいる千葉のお隣り東京には、お嫁ちゃんの実家があります。そんな立地条件にもかかわらず、その上、今回は伜が一緒ではないのに、2ヶ月弱もの間よく神戸にいてくれたと感心しています。


この半年、私たちは病気に取り憑かれてしまいましたが、病気だけでなく、実は仕事のほうも大変でした。

例のリーマンショックの影響から、先日のビッグスリーの破綻にに至るまでの金融危機の経緯の中で、自動車関係の仕事ではないのですが、海外の生産者が企業売却やらM&Aに追い込まれ、その煽りで、従来買い付けていたある商品が入荷しなくなりました。特殊な製品ゆえに、他社への置き換えも難しく、ここのところ、ちょっと焦っています。

海外の製品に依存しなければならない状況の中で、こんなことが起きると、小さな会社ではその影響をもろに受けてしまいます。

こんな波乱の連続で、大殺界のど真ん中にいるのではないかと見紛うほど、病気から仕事にと度重なる苦難に打ちひしがれた半年間でした。(笑) 

さすがのプラス思考のduoさんも、今回はかなりショックを受けました。


明日からは、いよいよ下半期に入ります。願わくば後半の半年間は何事もなく、無事幸せに過ごす事ができるようにと祈るばかりです。

こんな状況下のduoさんちですが、これからもお見捨てなく、来月もどうぞ仲良くお付きあい下さいませ。



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まちがえちゃった^^;;
なんでしょう、まったく。

ブラジャーを洗面室の床に放ったらかしになんかして・・・。

855_180

それにしても、デカイね、これは・・。 

Hカップどころではないし、それに色気もへったくれもないイカツイ感じ。

・・・と、思っていたら、ひざをついて拭き掃除などする時に使う膝当てクッションなんだって。(笑)

なぁるほどね。

びっくりしたけれど、納得しました。



一発免職は「過酷」??
京都市の区役所に勤めていた男性が、3年前に自宅で焼酎3杯を飲んだ後オートバイで走り、酒気帯び運転で現行犯逮捕されました。

この男性は一回の飲酒運転で市職員を懲戒免職となったのは不当と、処分取り消しを求める裁判を起こしました。

25日の京都地裁の判決は、「公務員の信頼を損ねる行為はほかにもあるのに、飲酒運転だけ一律に懲戒免職とするのは不公平」と判断、勤務時間中ではなく、事故もおこしていないことから、公務員の地位を奪い退職金もない懲戒免職の処分は、過酷、且つ裁量権の乱用であるとして、市の処分を取り消したそうです。

そうでしょうか?

それは、おかしいでしょう。

飲酒運転、バレなきゃいい、事故を起こさなきゃいい、と安易に考える運転者に警鐘を鳴らすために道路交通法も厳しく変わりました。

事故を起こした者に厳しいのは当然ですが、もう一つは事故につながらせないように、です。事故を起こしてからではもう遅いからです。

ですから、「事故も起こしていないし、勤務時間中でもないから」というこの裁判官の考え方はぜったいにおかしいと思います。

市はこの職員が逮捕される前に、既に指針の改定や通知で飲酒運転をしたら原則懲戒免職にすることを決定しています。

どんな状況であれ、飲んだら運転するな、と市は言っているのです。当たり前の話なのです。

その当たり前のことを守れない職員に対して、飲んだらクビだよ、と通告しているのです。そこまでして飲ませないように指導しているにもかかわらず、この職員は飲んで運転したのです。

飲酒運転は見つからなけりゃいいのでしょうか?事故を起こさなけりゃ大したことではないのでしょうか?

それなら、道路交通法も厳しすぎることになりませんか。事故を起こしたら仕方がないけれど、起こしていなけりゃ、道交法もそこまで厳しくする必要があるかということにつながってくるでしょう。

事故を起こさせないために、飲酒運転を取締り、厳しく罰しているのに、この判決はどう考えても逆行しているとしか思えません。

この職員も職員です。飲んで運転するんじゃないよ、飲んで運転したらクビだからね、と言われているにもかかわらず飲んで運転したのでしょう。小学生でもあるまいし、バッカじゃなかろうかと思います。揚げ句は、解雇不当で処分取り消し裁判だなんて・・・。

裁判官の考えもおかしけりゃ、この職員もおかしい。

一体どうなってんの、世の中は。



ギャフンとした顔、見たかった(笑)
昨日は、沖縄の「慰霊の日」でした。

自民党の古賀誠選対委員長は、日本遺族会会長です。

例年 「沖縄全島戦没者追悼式」の式典に出席して来ましたが、昨日はその式典を欠席しました。古賀委員長は、遺族会会長としての責務も全うせずに何処へ行っていたのでしょう?

実は古賀氏の姿は宮崎にありました。

宮崎県庁で東国原知事に同党からの衆院選出馬の要請に出掛けていたようです。

そして東国原知事との20分間の会談では、知事は「党総裁候補として衆院選を戦う」ことを条件として提示し、さらに、国と地方の税源配分を5:5にすること、地方の医療事務負担金の段階的廃止、国と地方の協議の場の設置など、全国知事会がまとめた要請を一言一句、自民党のマニフェストに盛り込んでこれを4年間で実現するよう約束することを出馬の条件に挙げました。

この東国原知事の「総裁候補の逆提示」を巡って、今日のメディアは朝からかまびすしいですね。

東国原知事の真意がどこにあるのか、もちろん私なんぞ知るよしもありません。

しかしですね、「次期総裁候補要求」という とてつもない高いハードルをいきなり突きつけたということから推測するに、古賀選対委員長の立候補要請を、あたかも現実と見紛うジョークを交えて軽く躱(かわ)したのではないかと見ました。

ところが、大島理森国対委員長は、この「総裁要求」をまともにとって不快感を露わにしています。曰く、「どういう県政のマニフェストを言っているか知らんが、国政での努力、経験、識見を踏まえて発言すべきだ」と。

古賀委員長は、今の自民党にない新しいエネルギーが欲しいとして、東国原知事だけではなく、知名度の高い橋下徹大阪府知事や森田健作千葉県知事にも衆院選への出馬を要請したい考えです。

この人気の高い知事に頼らざるを得ないとする古賀氏の行動には、自民党の幹部からも、今の自民党の苦境をもろに見せてしまったという批判があり、特に今回の東国原知事との一件には、「(元)お笑いタレントに自民党が笑われた」と、批判の声もあがっているようです。

自民党内部も、もうガタガタです。前途多難なり、自民党・・・ですね。


しかし、もし、もしもですよ。東国原知事の真意が宮崎県を捨てて国政に向いているなら、これは話は変わってきます。

2年前に「宮崎をどげんかせんといかん」と、お笑いタレントから初めて知事となり、その積極性から宮崎県民の心を掴みとり、人気を得ました。今はまだその第1期の任期も途半ばです。その段階にして、もう次のステップを見据えていることが先見の明であるとは、私は思いません。

知事の仕事は、そんな他所を見ていて務まるほど簡単なものではないでしょう。新参者であるなら、それなりに、せめて今期は任期満了まで全力投球しないといけないのじゃないかと思うのですがねえ・・・。

東国原知事が衆議院選挙に立候補するようでは、もうこれは茶番でしかないでしょう。宮崎県民の人気すら失うことになりかねません。宮崎県があっての東国原知事という、もっと目の前の現実をみつめなければいけないと思いますね。




「ひめゆりの塔」 と 「乙女の碑」
第2次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、アメリカ軍との地上戦となった沖縄戦から64年の慰霊の日を迎えた23日、教員などを志しながら軍に動員され、負傷した兵士の看護などにあたり、多くの犠牲者を出した「ひめゆり学徒隊」を悼む慰霊祭が、沖縄県糸満市の「ひめゆりの塔」と「沖縄師範健児之塔」で営まれたとテレビで伝えていました。

当時、従軍看護要員として、沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒と職員で、学徒看護隊が組織されました。このひめゆり部隊、総勢297人のうち、職員16人、生徒208人が戦死しました。

そして、最大の犠牲を出した伊原第三外科壕跡に慰霊塔「ひめゆりの塔」が建立されたのでした。

天皇陛下は、陛下が皇太子の頃から、沖縄戦終結の日、広島、長崎の原爆投下の日、終戦記念日を「どうしても記憶しなければならない4つの日」として毎年黙祷をささげておられるそうです。

私は、天皇陛下の「どうしても記憶しなければならない4つの日」に加えて、「もう一つ忘れてはならない悲劇の日」があると思います。それは、「北のひめゆり」と言われている「真岡電話局」を死守した9人の電話交換手の自決の日です。

ソ連軍に侵攻され、無念の思いで故郷、樺太を追われ、帰りたくても帰れない望郷の思いを託して建立された「氷雪の門」の隣りに、「乙女の碑」が建てられています。

8月15日に終戦を迎えたにもかかわらず、その5日後(8月20日)にソ連軍の攻撃を受けた真岡電話局(正しくは真岡郵便局)の9人の乙女の死を悼んだ慰霊の碑です。

戦争の悲劇を後世に伝えるために、交換手姿の乙女の肖像レリーフと、最後まで職場を守った交換手の言葉、「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」が刻まれています。



これに関する詳しいお話は、「ある通信兵のおはなし」を執筆された三好照雄氏が、その中の第117話「氷雪の門」で詳しく解説しておられます。

ここにその一部を抜粋させていただきました。

――ポツダム宣言を受諾して戦争は終結したにも関わらず、ソ連軍は樺太の国境線を越えて南下を続けていました。8月20日には、樺太南端の真岡市に上陸して街を蹂躙しました。

この時、最後まで残った9人の女子決死隊が電話局を死守し、本土との電話回線を確保していましたが、ついに電話局が砲撃を受け、全ての電話線がソ連軍により切断されました。

回線が切断される直前の悲痛な電話、
「これが最後です。さようなら、さようなら」
を最後に、9人の乙女達は青酸カリを飲んで自決したのです。

最期の通信は、責任者であった可香谷(よしがだに)シゲからの無線でした。
「ワレニンムヲオエリ。サヨウナラ。サヨウナラ。サヨウナ・・ラ」
彼女は服毒後、最後の力を振り絞ってキーを叩いたようです。



その後、この悲劇は、「氷雪の門」というタイトルで映画化されましたが、参戦の事実が明らかになることを恐れた当時のソ連が、日本政府に対して劇場公開を中止するよう圧力をかけ、結果的に配給会社は上映を中止した、と三好照雄氏は書いています。

情けない態度です。 せめて、北方領土を4島無条件で返還するなら、上映を中止させるとぐらい言えなかったのでしょうか?




父の日
今日は父の日、子供たちも大変です。お察し申し上げます。(笑)

先ず最初にピーンポーンと佐川急便さん。

お嫁ちゃんからです。

4月下旬から倅の海外出張で2ヵ月の孫と2歳7ヵ月の孫の二人を連れて神戸に来ていましたが、つい6日前に倅の帰日で千葉へ帰ったばかりでした。

届いたギフトは、日本海、山陰浜田港産の特大サイズの「のどぐろ」と、肉厚の「みずかれい」の一夜干しセット。
       281_8_20090623162630.jpg
のどぐろは関東ではあかむつと呼ばれ、一流料亭でも最高級の魚です。
これは父の日ギフトとしては、ちょっと高価すぎますね。

やっぱりね。 「神戸でお世話になったお礼も含めて・・・」と、メールが入ってきました。

どうやら、私1人で食べるわけにはいかないようです。(笑)



そうこうしているうちに続いて、ピーンポーン。

今度はヤマト運輸のクロネコさんです。

東京にいる下の娘から、ラッピングされた瓶もの。
品名欄に焼酎と書いてあります。
283_8.jpg 287_8.jpg
う~~ん。こちらもスゴイ。これまた高価な芋焼酎、私の大好物「佐藤」の黒ラベルでした。

手製ダンボールクラフトのハート型メッセージボードが一緒に入っていました。
90_91_5.jpg
反対側には布が貼り付けてあります。

ん?この生地・・・パジャマじゃなかったっけ?(汗)



さて、飛脚が来て、クロネコが来れば、後はペリカンか、カンガルー・・・いや、ゆうパックでしょうか?(笑)

ところが、仕事人間、キャリアウーマンの上の娘からは・・・・・

何も届きません(汗)。

相変わらず忙しくてそれどころではないのでしょう。いつもそうなんですが、仕事に一段落ついてから、時期はずれにぶら下げて持って来てくれます。(笑) 彼女のギフトはその時にこの記事に追加して書き加えましょう。

しかし、そんなことはどうぞお気遣いなく。一生懸命、元気に仕事をしているのが、一番のプレゼントだと思っていますから。(笑顔)




実は・・・オクチャマからも、昨夜のうちにプレゼントをもらいました。

ヤバッ!母の日に何かしたっけ?(汗)

上半身汗っかきで、特に夜中は首まわりから胸にかけてパジャマがグッショリになる私のために、今、ネットで流行の「常温快冷枕クールミン」です。
クールミン
常温で結晶化するこの枕は、体温を吸収すると液体化し、また外温で再結晶し快眠適正温度25~32℃を長時間キープするというすぐれものです。

常温でひんやり感を保ち、冷えすぎない快適クール枕ということで、夕べ早速使ってみましたが、残念ながらパジャマはビショビショでした。(笑)

『使用感には個人差があります』って、書いてありました。(笑)


昨日の記事「お父さんは何点?」で、子供たちがつけてくれる評価も気になるところですが、みんな、どうもありがとうね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

5日遅れで今日、上の娘からの父の日プレゼントが届きました。

どうやら松阪肉のようです。
300 225

裏側には個体識別番号が・・
200 280
津市・朝日屋さんの松阪牛、ロースすき焼き肉でした。

御礼のメールを入れると・・・
  ちょっとでごめんね。
  先週から頼んでいたんだけど、
  発送に時間が掛かったんだって。
  みんなで相談したわけじゃないのに、
  焼酎とお魚とお肉だったね。
って。

ほんとに相談していなかったのかなぁ。(笑)




お父さんは何点?
アサヒビールがインターネットで20歳以上の男女約3600人に、子供が採点するお父さんの評価点数を聞いたところ、平均点は74.8点だったそうです。

アンケートで最も多かったのは80~89点で全体の22.2%、100点満点も18.5%に上ったそうです。

100点満点をつけたある女性(30歳)は、「誰より優しく父の威厳もあり、常に新しいことを吸収して挑戦している。良い点だらけで悪い点が思い当たらない」と。 

すごいですね、この女性のお父さん。 女性の年齢からして、55歳から60歳くらいでしょうかねぇ? そんなふうに評価してもらえるお父さんもいるんだぁ。  |壁|ム゚;;  (ソォ~ッ (羨)


反対に父親による自己採点では平均点が62.0点で、最も多かったのは50~59点で24.2%だったようです。

私の場合はどうかなぁ?子供たちは何点くらいつけてくれるでしょうかね?せめて平均点くらいは評価して貰いたいですが、それは、あつかましいというもの・・・かもしれません。(笑)

自己採点ですか? う~~~ん、子供たちにとって決して素晴らしい父親じゃありませんが、平均点よりはいくらかマシかなと思うのは、これもちょっと甘いでしょうかね。(笑)

明日はいよいよ父の日がやってきます。 今日中にしっかり点数を稼いでおかなくっちゃ。

えっ? 今頃慌ててももう遅い?
間に合わせの付焼刃は通用しませんか・・・。 

それもそうですね。 (汗)





「仰げば尊し」もうこれは歌われていないのですか?
”ん十年ぶりの 「仰げば尊し」”というタイトルで、5月24日から6月3日にかけてブログを書かれたYOOさん (平野杳=HP:二人静)。親しくさせていただいている神戸在住の女流作家さんです。

勝手にそのブログからお話を引用させて頂いております。お許しのほどを・・・。(笑)


▽この歌を最後にうたったのは、はて何年前?
昨日、親しくお付き合いさせてもらっている年長の師匠友人の集まりの最初に、「仰げば尊し」をうたったんですよ。
うたっているうちに、幼いころからお世話になった先生がたの顔がつぎつぎに浮かんできました。
中学のときに技術家庭科の時間に横の友達とどうでもいいことを話していては「こら、手が動いとらん!」と頭をげんこつでぐりぐり罰された先生、「ずうっと先々まで、お山の大将にだっけはならんようにな」とにこにこ顔で言われた理科の先生も、やっぱり中学の先生でした。

・・・♪たがいに むつみし ひごろの おん
    わかるる のちにも やよ わするな
    みをたて なをあげ やよ はげめよ
    いまこそ わかれめ いざさらば♪・・・


涙がつつ~っと ぼろぼろ
なんで泣くんだろうね・・・・・

で、1番の歌詞を
"おもえば ひととし このとしつき" 
って覚えこんでいたんですが、
違ってまして、正しくは
"おもえば いととし このとしつき"
だったんですね。
いと疾し とっても速い、 だったのね、
と、何十年ぶりかに気づいた、土曜日の午後でした。


▽歌詞が問題なんだそうでして、とくに2番の、
"身を立て名をあげ やよはげめよ”
のところが、立身出世を薦めているのでだめだと。

全体の流れの中から、一部分だけをとりあげて、
難癖をつけるのって、どうかな、と思いますね。

そんなわけで、歌っても、2番を歌わないで、1番と3番だけを歌う場合が多いんだそうです。作詞者に失礼だよね~て、突っ込みをいれたいところです。


▽曲は、スコットランドの民謡だと、どこかで聞いたような気がしますが、当日いただいた譜には、作詞も作曲も未詳、とありまして、歌詞は、大槻文彦、里見義、加部巌夫が詞を練り上げたともいわれる、と参考にかいてありました。明治17年3月、「小学唱歌集(三)」に発表されたんだそうです。


"身を立て名をあげやよはげめよ"の歌詞が、立身出世をすすめているのでだめ、っていう意見、ずうっともやもやしていたんですよ。そういう意味とちがうんじゃないかな、でも、ちがうという根拠がないし、雰囲気だけで反論できないし、と・・・

今日、たまたま開いた『孝経』のはじまりに、あった!!んです。

・・・・・ 子(し)のたまわく、それ孝は徳のもとなり 教えのよって生ずるところなり ・・・・・ 身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは 孝の始めなり 身を立て道を行い 名を後世に揚げ もって父母を顕すは 孝の終りなり ・・・・・

立身出世が目的なのではないのですね。

"身を立て名を揚げやよはげめよ" は、おそらく、この『孝経』の一節をもってこられたんじゃないかな、と思うのですが・・・

ま、もっとも、『孝経』も『論語』も時代遅れだと言われるかもしれない今日このごろではありますが。


               ――以上YOOさんのブログから引用

     **********************

なかなか、難しいお話ですね。 それにこの「孝心」の訓訳だけでは、読解に難しく、もっとやさしい現代訳か注釈をつけてもらわないと、YOOさんの言わんとしているところが理解できません。少なくとも私のカボチャ頭では・・・。(笑)

そこで、もう少し私の頭の程度に合わせて分かりやすく解説してくれている塩谷温著「孝経新釈」(致知出版社)から抜粋・要約し引用した「孝心」を、東洋思想啓蒙家 中小企業診断士 白倉信司氏のHPより援用させて頂きました。

もっとも、問題になっている部分については、【通釈】の中の最後の述部だけなのですが、取りあえず、『孝経』の「開宗明義章第一」から、この話の経緯を分かりやすくするため最初の設問の主部も含め、答えとなる述部との二つに分けました。

※蛇足ながら、下の文中、仲尼(ちゅうじ)、夫子(ふうし)について加筆しますと:
夫子とは先生の尊称・敬称です。中国では夫子は孔子の敬称でもあります。因みに、孔子の姓は「子」、氏は「孔」、諱(いみな)は「丘」、字(あざな)は「仲尼」。そして孔子という時の子は先生という意味で、孔子の姓の「子」ではありません。すなわち、孔子(孔先生)を更に丁寧に言う時、孔夫子(孔先生)となります。
一般に先生の敬称としての夫子にあたる適切な日本語はありませんね。敢えて言うと大先生ですかね?あまりしっくりしませんが。また、尊師なんていうと例の新興宗教の教祖を思い出しますし・・・。(笑)

【訓読】(主部)
仲尼(ちゅうじ)居(きょ)し、曾子侍す。子曰く、「先王至徳要道あり。以て天下を順(したが)え、民用(もっ)て和睦し、上下怨み無し。汝之を知れりや」。曾子席を避けて曰く、「三不敏、何ぞ以て之を知るに足らん」。

【通釈】(主部)
孔夫子がおひまで家に居られた時、お弟子中の徳行家として名高い曾子が、そのおそばにかしこまって坐っていた。やがて夫子は、個人的に教育を施すよい機会とばかりに、曾子に向かっておもむろに口を開かれた。
「むかしの立派な君主たちは、極めて優れた御徳(おんとく)を身に備え、最も肝要な道を始終ふみ行わせられて、常に実践躬行(きゅうこう)によって、天下の人々を教え導き給(たま)い、人民はそのおかげによって、互いに和らぎ楽しみ、睦まじくし合うことが出来たので、上(かみ)は天子諸侯より、下(しも)は一般の人民に至るまで、皆相敬(あいけい)し相愛(あいあい)して、各々(おのおの)その身分に安んじ、天命を楽しんで、人を怨み己をかこつような者は少しもなかったということであるが、いったいそういう泰平のすがたを現出した源(みなもと)をなすところの、至徳要道とは、具体的にいえばどんなものであるかを、お前は知っているか」とおたずねになった。
曾子は、さてはまたありがたい御教(みおしえ)をうけることができることと、直ちに立ち上がり、今まで坐っていた席から少し退いて、「私、参(しん)の如き生来(せいらい)の愚鈍な者は、どうしてそのような高尚深遠な道徳などを心得ておりましょうか」と恭しくお答え申し上げて、是非ともご教示を賜りたいものでございますという熱心な態度を示した。
夫子は、その謙虚なしかもまじめな態度が、益々お気に召されたかのように、いよいよ一歩を進めて、詳細なご説明を試みられようとしたが、先ず第一に、この問題の根本義であるところの孝という字について、特に説きおこされた。



【訓読】(述部)
子曰く、「夫(こ)れ孝は徳の本(もと)なり、教えの由(よっ)て生ずる所なり。復坐せよ、吾汝に語らん。身体髪膚(はっぷ)、之を父母に受く、敢えて、毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは、孝の終わりなり。夫れ孝は親に事(つか)うるに始まり、君に事うるに中(ちゅう)し、身を立つるに終わる。大雅に云う、「爾の祖を念(おも)うことなからんや。その徳をのべ脩(おさ)む」と。

【通釈】(述部)
「およそこの孝というものは、あらゆる徳と称せらるるものの根本義をなすものであって、前に述べた至徳というものも、畢竟(ひっきょう)は孝に外(ほか)ならぬものである。故にこの至徳の根本が確立して後に始めて人のふみ行う道も生じてきて、従ってすべての教化というものも、これから起こってくるものである。即ち至徳といい、要道というも、皆この孝ということ以外にはないのである。まあもとの席にお坐り、ゆっくりとくわしくお前に説ききかせてあげようから」と仰(おお)せられて、最初には、人の一生中を通じた、孝道の大綱を挙げられ、順次にその一部一部の細かい説明に入(い)らせられるのであった。
先ず一番手近の所を捉えて語を続けられるよう、「さればといって孝というものは、必ずしもそんな高尚深遠なものと思い込むには及ばないのである。現に吾々がここに保持しているところの身体手足の大部(たいぶ)から、髪の毛皮膚(はだ)の細部に至るまで、これことごとく父母から賜(たまわ)り受けたものである。言い換えれば、父母の身体髪膚(はっぷ)の延長をおあずかり申しているようなものである。故にいやしくも人の子たる者は日常不断、注意に注意を重ねて、これを完全に保護し維持してゆくことを心がけねばならぬ。かの飲食物等の不摂生にもとづく疾病や、行動の無分別による毀損傷害の如きは、取りも直さず、わが親を病(や)まし傷つけるのと同様であるから、最も深く戒むべきことである。しかして又実際に、この事がそのまま孝道の第一歩に外ならぬのである。
孝道は誠に広大なものであるというのも事実ではあるが、同時に又極めて卑近なものであるというのも又事実である。この卑近な第一歩から踏み出して、社会に進み立ち、個人としても国民としても、円満完全な人格を備え、業務に精励(せいれい)して、まことに隣里(りんり)郷党(きょうとう)の模範と称えらるるのみならず、千載(せんざい)の後(のち)までもその名を青史(せいし)に輝かすと同時に、自らその父母の名をも伝え顕わすようになれば、わが身と共に父母の名誉もこの上ないことで、こうしてこそ孝道も十分に成就したものといって宜しいのである。
更にこれを取りまとめて言ってみると、孝道というものは、先ず第一に家庭にあって日夕(にっせき)両親にまじめに奉養(ほうよう)することから始まり、進んでは外にあって天子の忠良(ちゅうりょう)なる臣民として、よく身分に応じて職責を尽くし、国家の進運に貢献することに懸命となり、かくて忠孝両全(りょうぜん)の道を遂げた申し分のない人物となって、ここに完了を告げるものである」
と仰せられ、なおこの道理を一層深く理解させんがために、詩経の大雅(たいが)の一節を引いて示された。その詩の意味は、「およそ健全なる良心をもっている人々は、誰しも必ずわが家を興し伝えてくれた父母の偉業を思慕しないものがあろうか。そしてその追憶の念を動機として、自分もまたこれに対して恥じないように、家名を上げねばならぬとの自覚を強め、やがてわが身の徳を修め、人格をも高めてゆくこととなるのである」というのでやはり父祖に対する孝心が本となって立派な人物となる所以を述べたものである。
――塩谷温著「孝経新釈」




要するにですね・・・
 "身を立て名をあげ やよはげめよ” は、
社会に進み立ち 己れの人格を高め、そして村民の模範となればその名は後々の世にいつまでも輝くことになります。そうなれば家名を上げ、我が身と共に父母の名も広く同郷・近隣の村々に知れわたるところとなり、父母の名誉もこの上ないものとなるでしょう。こうあってこそ孝心を成したと言えるのですよ・・・。 
――ということなのでしょうか。

ふむ、ふむ。やはり父祖に対する「孝心」がもととなって立派な人物となる所以(ゆえん)を述べたものであるのでしょう。


それにしても、YOOさんはすごいところから仮説の論理を引っ張ってきましたね。凡人には、「立身出世」のことだからいけないと言われれば、何の疑いもなく、「ああそうですか」で終わってしまうところです。
また一つ賢くなりました。YOOさんありがとうございました。

> ま、もっとも、『孝経』も『論語』も時代遅れだと言われるかもしれない今日このごろではありますが。(YOO)

この『孝経』は、かつては詔勅によって、一家に一冊ずつおかれていたそうですが、YOOさんが、言われるように今は昔の話ですね。

でも、父母を敬うこと、いつの時代においてもとても大切なことですよね。

されど・・・・・
「親孝行――したい時に親はなし」ですか。 嗚呼・・・。




ズワイガニの価格は、紅ズワイの約10倍
「ズワイガニと紅ズワイガニの違いを知りませんでした」。――と宣ったとか。

えぇ~~??? 日本水産って、ホントに水産業者なんですかぁ?

和牛と国産牛の違いであるとか、ブロイラー用の肉用若鶏とレイヤー用(採卵用)のレグホンとの違いなど、家畜や家禽の事に詳しくないのなら頷けますが、魚を扱っている水産大手の日本水産が、どうしてズワイガニと、価格がたった10分の1の紅ズワイと、その違いを知らなかったと言えるのでしょう。

もし本当に知らなかったのなら、社名に水産の文字をつける資格がありませんね。

日本水産は同社の「ずわいがにコロッケ」に高級食材のズワイガニではなく、ベニズワイガニを使用していたにも関わらず、商品名欄にも、原材料欄にも、「ズワイガニ」と記載して販売していました。

越前ガニや松葉ガニと呼ばれる高級食材のズワイガニと、ベニズワイガニとでは値段において10倍もの開きがあります。

公正取引委員会は15日、景品表示法違反で排除命令を出しました。また農林水産省もJAS(農林規格)法違反で、同日是正を指示しました。

違いを知らないわけ ネエだろう! ったくぅ・・。 



デパートの包装にビックリ
先日、家内の叔父さんが亡くなりました。

茨城県出身で、義父の弟さんなのですが、家内共々もう何十年とお会いしていません。

茨城県にはご結婚された娘さんがおられますが、叔父さんは東京で息子さんと一緒に暮らしておられました。

家内の話によると、娘さんは昔、学生の頃、水戸市内にある家内の実家に下宿して学校に通っておられ、家内たち(3姉妹)とは、4人姉妹のように育てられたと聞いています。

叔父さんの通夜・密葬は身内の近親者で執り行い、故人の遺志で葬儀・告別式は行いませんでした。

そんなわけで、私たちは葬儀には参列することなく、先日、お供えと一緒に香典を喪主の息子さんへ贈りました。在りし日を偲んで、お手紙をつけて・・・。


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香典のお返しが水戸市内にあるデパートから贈られてきました。水戸のデパートからということは、東京にいる息子さんが、茨城にいる娘さんに発送を依頼したのでしょう。


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届けられた荷物はコレ。


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こちらは外箱の反対側です。


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ちょっと荷造りがヒドイと思いませんか?

外装だからバラバラにならなければ、どうでもいいというものでもないと思うのですが・・・。

自宅用ならともかく、香典返しではありますが、れっきとしたギフトですよ。

それも、個人が在り合わせの箱に入れたのならともかく、発送はデパートからです。いや、逆に個人だと、いくら在り合わせの箱であっても、こんなに古い、使い回して、切り刻んだ、落書きだらけの箱にはいれないでしょう。


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もちろん、中身が傷んでいたわけではありません。

でも、受け取った側としては、このデパートに対して不愉快極まりない思いを強く感じます。もちろん、贈り主もこんなひどい包装で送られているとは夢にも思っていないでしょう・・・。

贈り主のことを考えると、なんだか淋しくなります。


ところで、このデパートの話題から少し話が脇道へ逸れますが、荷物と一緒に「ご挨拶状」が入っていました。一般に通夜や告別式で頂く、それこそ葬儀屋さんが作成、印刷した、通り一遍の「会葬御礼」のハガキです。

喪主である東京の息子さんに代わって、水戸のデパートから発送手配をしてくれた娘さん。冒頭にも書きましたが、家内にしてみれば、昔、姉妹のように育った娘さんだったので、ありきたりの印刷された御挨拶状だけではなく、「ご無沙汰しています」だけでもいい、なにか一筆、書いてくれたら気持の伝わり方が違うのにと、外装のヒドイ荷姿と合わせて、そちらのほうでもガッカリしていました。



今夏は日照時間が少なく、冷夏で多雨とか・・
今年1月に発生した「ラニーニャ現象」。

日本では、この「ラニーニャ現象」による影響はみられませんでしたが、ちょうど1ヶ月前の5月12日、気象庁はが3―4月にかけて「ラニーニャ現象」は終息したもようだと発表しました。

「ラニーニャ現象」とは、太平洋の赤道域中央部から南米ペルー沖にかけて海面水温が下がる現象で、反対に、「エルニーニョ現象」は、同地域の海面水温が平年より0.5度以上高くなる現象を言います。どちらも大気に影響を及ぼすため、冷夏や暖冬、干ばつなど世界規模で異常気象を引き起こすとされます。

この5月12日の「ラニーニャ現象」終息発表の時点で同庁は今年の夏の予測として、「ラニーニャもエルニーニョも発生する可能性は低い」と言っていました。

ところが、昨日の同庁の発表によると、ペルー沖の監視海域で5月の海面水温が平年を0.4度上回っており、今後も次第に上昇が続くと予測、同庁気候情報課は、「今夏は7月以降にエルニーニョが発生する可能性が高く、日本の天候にどう影響するかは分からないが、来年初冬まで6カ月ほど続く可能性がある」と発表しました。もし、発生すれば2003年に終息して以来6年ぶりとなります。

過去の統計によると、エルニーニョが発生すると、太平洋高気圧の勢力が弱まるため、
 ・ 西日本では冷夏となる
 ・ 西日本の日本海側では多雨となる
 ・ 西日本の太平洋側、及び
    北日本(北海道、東北)、沖縄・奄美では日照時間が減る

――などの影響があるといわれています。


また、5月27日の日経新聞に、「エルニーニョ現象」の監視について、気象庁はこれまで南米ペルー沖のみで監視をして来たが、7月からはインド洋と西太平洋の熱帯域を監視海域に加えると発表したという記事が出ていました。これは新たに監視する海域の海面水温の変動が日本の天候に大きく影響していることがわかったためとしています。

最近の研究から、インド洋熱帯域では南米ペルー沖の2―3カ月後に同じ傾向が表れ、西太平洋熱帯域では逆の傾向がみられることがわかったようです。

エルニーニョ終了後の夏にインド洋熱帯域の海面水温が高い場合、フィリピン付近で高気圧が発達しやすくなり、日本では北日本で気温が下がり、沖縄・奄美では上がる傾向がみられたといいます。


エルニーニョ現象の影響で、今年の夏は日照時間が少なく、冷夏で、雨の日が多くなるという予想ですから、野菜や果物がまた値上がりしそうですね。

それにもまして、異常気象で台風、洪水、土砂崩れなど災害が起こらなければいいのですが・・・。




とても・・・及びません
とても 羨ましいかぎり・・・ですが、

リビアでは
一夫多妻制が普通です


但し、一夫多妻の夫は、妻の誰か一人を贔屓(ヒイキ)にしてはならないことになっています。
そのルールを忠実にまもったハッサン・アブデル・アルという50代の男性は3人の妻を均等に愛しました。
3人の妻たちは合わせて42人の子供を産みました。
1988年にハッサンの3人の妻たちは夫に対して、
「私たちはもう疲れて元気がありません。若くて元気な4番目の妻と結婚して下さい」
と訴えたそうです。
この話はたちまち広がり、ハッサンの第4夫人になりたいという若い女性たちが次々と名乗りをあげたといいます。(デイリー)

42人もの子供がいれば、サッカーや野球のチームは屁のカッパ、53人まで選手を登録できるアメフトのチームまで作れますね。(笑)

3人の妻と42人の子供を育てているわけですから、その精力はもとより、石油産国リビアならではのハッサンの生活力、資産力は推して知るべしですね。

どう考えてみても・・・私には及びません。(汗)

ん? アラブの大金持ちと比較すること自体が、まちがっている?

それもそうだ。(笑)




犬が似たのか? 飼い主が似たのか?
犬とその飼い主は、なぜかとてもよく似ている。
そもそも似ている犬を飼ってしまうのか、だんだん似てくるのか。似てくるなら、飼い主が犬に似るのか、犬が飼い主に似るのか。――不思議であるが本当のことはよくわからない。


と、福田文昭さんは、自著、愛犬と飼い主のツーショットの写真集 「愛すれば、そっくり」My life with A DOG(本体価格1200円)の前書きに書かれています。

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「よく似てますね」と言って怒る人はいなかった。
撮っていてすぐ、犬と飼い主は自然と「目つき」が似てくることがわかった。犬と毎日生活していれば、家の中でも散歩のときも、いつも見つめ合っているから段々似てきても当然だろう。永年連れ添った夫婦が似た顔になっていくのと同じではないか。


この写真集が人気を集め、そっくり度を競うコンテストが開かれるほど世はペットブームだとか。

ところが、「一緒に暮らすから」という通説があるが、そうではないと反論する関学大教授、中島定彦氏(動物心理学)の記事が、今日の神戸新聞に掲載されていました。

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中島教授は「一緒に暮らしているから似てくる」のではなく、「飼い主が自分と似た犬を無意識に選んでいる」と仮説をたて、英国の学術誌に発表しました。

実験結果をもとに、飼育期間が短くても同じ結果であることから、「次第に似てくるというより、自分の顔と似た犬を選択した可能性がある」とし、その理由として「人間は見慣れたものに好感を抱く性質があるためでは」と推論。

そして、今後は「社交的」「誠実」など人の性格が、犬にも当てはまるか検証し、「飼い主と犬は性格も似ている」という俗説についても研究をするそうです。

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それにしても、どの写真もペットと飼い主、笑えるほどそっくりですね。
親しいブログ仲間にトイプードルを2匹飼っている奥さんがいらっしゃいますが、あの方はどちらのワンちゃんに似ているのでしょう?
多分あのご性格からすると・・・先日△△をしたほうの・・・・クリック。 ふっふっふ。(答えは、きっとご本人がコメントのなかで明らかにされると思いますよ)


写真:犬と飼い主の写真を掲載したペットフード会社の広告(マースジャパン提供)

孫のお供
「電車大好き」の孫を連れて、神戸メリケンパークのカワサキワールド クリック へ行ってきました。

神戸メリケンパークの入口近くに建っている「メリケン波止場」由来の碑。
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中突堤のポートタワーの前に停車中だった水陸両用観光船、「スプラッシュ神戸」 クリック
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神戸メリケンパーク、神戸海洋博物館前に展示されている超電導電磁推進船「ヤマト1」。
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展示ルームの一部。電車大好きの孫はこの2箇所を離れません。
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でっかいオートバイ。2歳半の孫にはハンドルに手もとどきません。
おそらく一生またがる事はないでしょうから記念にパチリ。
因みに排気量は2000cc。
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そして、大好きな新幹線の運転席。
「シンカンセン。シンカンセン」と大はしゃぎでした。




そろそろ梅雨入り?
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夕方、西の空の雲が切れて太陽が顔を出しました。
そして、南の空からまだ曇っている北東の空に架けて120°にわたって弧を描いた大きな大きな虹がかかりました。

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太い虹の外側にもう一つ。二重のアーチです。
時々雨がぱらついて・・・。
甲子園球場もオリックスとの交流戦が雨の中で始まりました。

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そろそろ梅雨に入るのでしょうか。
昨年は早く、近畿地方の梅雨入りは5月28日でした。
平年値は6月4日。 今年はまだ発表がありません。




GM(ゼネラル・モーターズ)から GM(ガバメント・モーターズ)へ
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   デイトナ絶版車図鑑[秋元一利氏撮影 マッスルカー・コネクション(075-671-6665)]より借用  


昔、私が若い頃にはでっかいアメ車に憧れたものでした。特にキャデラックは垂涎の的でした。 と言っても、当時初任給の何百倍もするキャデラックは到底ハナからお呼びではない はるかはるか夢の彼方の超高級車でした。 街中を走るキャデラックを目で追い、停まっているキャデラックを眺めまわし、モーター誌に掲載された写真やスペックをなめるように見る・・・。ただそれだけが私の・・・いや、多くの私の年代の人たちができる精一杯のことでした。(笑)

因みに上の写真は59年型キャディラック ビアリッツ・コンパーチブル。当時の価格は7401ドルだったとか。1949年から1971年まで1ドル360円の時代でしたから、日本円で2,664,360円。当時の物価が米(10キロ)870円、かけそば35円、、はがき5円、新聞購読料(1ヶ月)390円、封切り映画館入場料150円、国鉄初乗り運賃10円ということから今の価格に換算するとなんと約2千500万円くらいになりますかねぇ。ひぇ~~~!

そんな、20世紀のアメリカンドリームの象徴とも言えるGMがとうとう101年の歴史に幕を引くことになりました。

1970年代の2度のオイルショックに世界は燃費のいい小型車へとシフトしました。

GMはキャデラックに代表される大型車の持つステイタスを捨てきれずこの時代の波に乗り遅れてしまったのですが、その後も、環境問題などの技術開発よりも企業買収や合併(M&A)などを優先してきたことがそもそもの崩壊の始まりでした。

世の中は、ステイタスを求め、自身の欲求を満たしてきた成長期の20世紀から、物が有り余る飽食の時代へと遷り変わり、この21世紀に入ると個人の物的欲求は衰え、嗜好も変わってきました。

そんな中、昨年はサブプライムローン問題が引き金となる世界金融危機という重大局面を迎えました。

100年の歴史の中で、これらの問題を抱え、労使の対立なども繰り返しながら、トヨタの「カイゼン」とは反対に「トップダウン」にこだわり続けたGMは、とうとうここへ来て脆くも崩壊の一途をたどることになりました。

そして、良きに連れ悪しきに連れアメリカを牽引してきたGMを潰すわけにはいかないと、オバマ大統領は大きな賭けに出ました。

総負債額16兆円(1728億1千万ドル)、オバマ大統領は先の支援200億ドルに更に300億ドルを追加融資、総額500億ドルもの公的資金をつぎ込んで60%の株式を取得して事実上GMを国有化します。

新生GMは、キャデラック、シボレーなど4部門に絞り込み、2010年から2012年までに工場数も人員も約3割(47工場から33工場に、6万人から4万人に)削減し、不採算部門などを整理する計画を立て、6ヶ月から18ヶ月以内に再上場を目指しています。

4月末に破綻したクライスラーに投入した300億ドルと合わせて800億ドルをつぎ込んだオバマ大統領。この自動車業界の再建がうまく行けばいいのですが、失敗するとアメリカの財政はとんでもない事になります。

折りしも世界の景気は底打ちし、やっと右肩が上がり始めたところです。オバマ大統領の今回の政策が成功裡に終わらないと、今度は米政府だけの問題ではなくなり、リーマンブラザーズの破綻の時以上の第2の世界金融恐慌が始まることになるでしょう。

見守るしかない状況ではありますが、世界経済が震撼することのないようにガバメント・モーターズ(GM)の成功をただ、ただ祈るばかりです。

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