La Vie
悔やんでばかりいても人生、豊かに生きても同じ人生。人生は一度だけ。どうせならプラス思考でいきましょうよ!
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La Vieal denteはなれ でしたが 母屋 に昇格しました

La Vie の 旧宅
「アル・デンテ al dente」
は Doblog 村にありました

そのちいさな ドブログ村が、 2009年2月、ダムのどん底に沈んでしまいました

そんなわけで新しい地に旧家を移築し、現在は、旧宅の壁に掛かっていた絵をもう一度かけ直しているところです

        

旧家の移転先:
  duologue

   (一部画像を修復中)


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自分を超える参謀を持てるか?
・会社は経営者の器以上には大きくならない。

トステム元会長の潮田健次郎さんの言葉を引用して、今日の日経「春秋」欄はこう綴っています。

・有能であっても一人の力には限りがある。

器、すなわち度量の大きな経営者は、いろいろな個性の人材を生かして事業を発展させるのだと。

例えば、伊藤忠商事元社長の越後正一さんが、全く肌合いの違う元大本営参謀の瀬島龍三さんを採用したときも、デマによって中傷された瀬島さんがそのデマを問題にせず無視する態度を取ってきたのを見て「もしだまされたとしても、自分には運がなかったのだ」と腹をくくり採用し続けたというエピソードを書いています。

さらに、企業には学閥をはじめとするいろいろな「閥」があるが、越後さんは「閥」が一番嫌いであったと述べ、企業が衰亡する過程を次のように書いて締めくくっています。

・狭量な社長はえてして閥を作り、異質な人材を遠ざける。

・器の小さいトップは自分より小粒な後継者を選ぶ。


自分1人の力で何もかもをやろうとするのではなく、参謀として自分の能力以上の人を採用する度量が大事なのですね。

因みに、伊藤忠商事の越後正一元社長が採用した瀬島龍三さんは、1958年の入社後3年めには業務部長に抜擢され、その翌年に取締役業務本部長、半年後に常務となりました。その後も、同社がかかわる様々な案件で重要な役割を果たし、1968年に専務、1972年副社長、1977年副会長と昇進し、1978年には会長に就任しています。
(wiki) 


「春秋」
  ↓

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風も吹くなり 雲も光るなり
1

尾道市ゆかりの作家・林芙美子は1949年から1951年にかけて、長編小説 「浮雲」を執筆しました。この小説を映画化した「浮雲」に、この『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』の言葉が出てきます。また、初期の自伝的小説 「放浪記」では、女優の森光子さんが舞台「放浪記」で、冒頭にこの一節を朗読しています。

そんなことから、この言葉は、「浮雲」や「放浪記」の中の一節と思われていますが、どちらの原作にもこの文言は出てきません。 ただ、新潮文庫の「新版放浪記」のカバーに、林芙美子が直筆でしたためた色紙が印刷されているだけなのです。

芙美子が晩年好んで色紙などに書くようになった文言だといわれていますが、詳細は不明で、原作にない言葉であるため、今まで原典が謎とされていました。

今回、生前の芙美子と交流があった「赤毛のアン」の翻訳で有名な故村岡花子さんの遺族宅の書斎で額に入れて飾られている直筆作品が見つかり、森光子さんが朗読する文章とほぼ一致しているということです。

3

    風も吹くなり
    雲も光るなり
    生きてゐる幸福(しあはせ)は
    波間の鴎のごとく
    漂渺(*)とたヾよい

    生きてゐる幸福(こうふく)は
    あなたも知ってゐる
    私もよく知ってゐる
    花のいのちはみじかくて
    苦しきことのみ多かれど
    風も吹くなり
    雲も光るなり


      (*) 文中 漂渺とありますが、
         多分、縹渺(ひょうびょう)の間違いでしょうね。


400字詰め原稿用紙に万年筆で書かれた12行の詩が、昨日から、ふくやま文学館で開催されている「福山地方の詩と童謡」展で展示が始まりました。(12月13日まで)

ところで、下に掲げた日経の春秋にあるように、確かに『花のいのちはみじかくて……』と唱えれば、『苦しきことのみ多かりき』と、自然と口をついて出てきます。

しかし、この言葉に続けて、今回見つかった原稿の2行を付け加えると、その内容は180度反対の意味になります。

晩年、色紙を前にした時、『・・・苦しきことのみ多かりき』と、ここで締めくくり、最後の2行を書き加えなかった芙美子は、この時どんな心境だったのでしょう。

もう風も吹かなければ、雲も光らないと、あきらめの境地にあったのでしょうか。



   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

関連した記事が、今日の神戸新聞の「正平調」欄と、9日の日経新聞の「春秋」欄にありましたので転載いたします。


■正平調(2009/09/12)一部
 たわわに実った果実のような、内面の成熟を感じさせる文字が原稿用紙に刻まれている。きのう、広島県福山市のふくやま文学館で公開が始まった作家林芙美子の未発表の詩稿だ
◆12行の中に、これまで原典が分からなかった有名なくだりが、したためられている。「花のいのちはみじかくて/苦しきことのみ多かれど/風も吹くなり/雲も光るなり」。女優の森光子さん主演の舞台「放浪記」でも最初に朗読される、あの一節だ
◆書かれた時期ははっきりしないが、地元紙によると40歳代の可能性が高いという。47歳で亡くなった作家の晩年にあたる。苦しみの多い人の生ではあるが、時に風が吹き、時に雲が光ることがある。ささやかな幸せにふと気づき、心震わせる。浮き沈みを重ねて激しく生きた末、たどり着いた境地を見る思いだ


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

■春秋(2009/9/9)全文
 花のいのちはみじかくて……と唱えれば、続く言葉が口をついて出る。「苦しきことのみ多かりき」。ため息まじりのつぶやきが似合うだろうか。作家の林芙美子が愛誦(あいしょう)し、好んでしたためた名文句だ。世に知られて半世紀にはなろう。
▼若いときに苦労を重ねた芙美子ならではの慨嘆だと思っていたら、ちょっと見方を変えそうな発見が報じられていた。作家直筆の未発表の詩が見つかり、こういうくだりがあるという。「花のいのちはみじかくて/苦しきことのみ多かれど/風も吹くなり/雲も光るなり」。これこそ原典ではないか、とのことだ。
▼「矢でも鉄砲でも飛んでこい」とか「ヘエ、街はクリスマスでございますか」とか、かの「放浪記」を読むとこの人の突き抜けた明るさに感じ入る。周囲に迷惑もかけたというが、天性の体当たり精神だろう。新発見の「花のいのち」にも、辛酸のなかで決して希望を忘れぬ思いがこめられているのかもしれない。
▼本当のところは泉下の芙美子に聞いてみないと分からない。それでも47年の生涯を急ぎ足で駆け抜け、今も若い人に読み継がれる作家が残した言葉の、なかなかの味わい深さだ。「苦しきことのみ多かりき」。こう言い切りたいときもあるけれど、人生は「風も吹くなり/雲も光るなり」。少しばかり勇気がわく。




メロンパン と サンライズ
こうめいさんの記事からTBさせていただきました。

メロンパンって、食べた時、そんなにメロンの風味もしないし・・・メロンのジャムも入ってないですよね。
では、なぜメロンパンと呼ばれるかと言うと、パンの表面の格子状の模様がメロンに似ているからとか、表面の生地にメレンゲを使用していることから、メレンゲが転じてメロンになったとか言われてます。
真相は分からないようですが、最近、あまり食べてないなぁ-



神戸では、こうめいさんの言う「メロンパン」は、「サンライズ」という名称で呼ばれています。そしてコープこうべでは、今でもこの「サンライズ」の名称で売っています。

sunrise

世間で、「サンライズ」が「メロンパン」と呼ばれていることを初めて知ったのは、私が結婚した頃で、北関東地方からお嫁に来た家内がサンライズのことをメロンパンと言うのを聞いてからです。

これはメロンパンではなく、サンライズというのだと、家内に教えたものですが、神戸で長く育った私としては、みのもんたさんの『ケンミンショー』ではありませんが、今から思うと井の中のかわず状態で、この頃すでに「サンライズ」と呼ぶのは神戸市民だけだと知って驚きました。

なぜ同じ商品なのに、呼び名がいくつもあるのでしょうか?

melon2

コープこうべによると、、明治の頃にはメロンの一変種であるマクワウリがメロンとして売られており、このアーモンド型というか、ラクビーボールのような楕円形が、「メロンパン」のルーツとなったという説が有力とされています。

一方、白いパン生地にビスケット生地をのせて、日の出の形を真似た「サンライズ」も、「メロンパン」が売り出された前後に誕生しました。

その後、海外からマスクメロンが日本に輸入されるようになった頃、マスクメロンに形がにている「サンライズ」が全国的には「メロンパン」と呼ばれるようになっていったようです。

coopkobe

コープこうべの「メロンパン」製造中の写真です。白あんにマーガリンを加えた洋風餡をソフトなパン生地で包み、和洋をうまく調和させているところから、ちょっとレトロな感じで「神戸ハイカラメロンパン」と名付けられました。そもそも、このアーモンドのような形は、当初洋食でチキンライスを成型する金型にパン生地を流し込んで焼き上げたことから、こういう形になったと言われています。


もうひとつ、神戸新聞に掲載されたという「神戸はじめ物語」の記事をお借りして、「メロンパン」の項を転載します。

メロンパン(神戸新聞「神戸はじめ物語」より抜粋)
 ラグビーボール型に白あんが入っている
 メロンパンは広島県のパン屋が発祥の地だが、
 パン工場で大量生産を開始したのは
 コープこうべがはじめて。
 ちなみに、他の地域で言う半球型のメロンパンは
 神戸では「サンライズ」とも呼ばれる。




こうめいさんも、最近あまり食べておられないようですが、私も、3年前にドサまわりの途中、海老名サービスエリア下り線で、テレビにも登場した「ぽるとがる」のメロンパンを家内に頼まれて買って帰ったのが最後 クリック でしょうか。それ以来、サンライズ型のメロンパンも、アーモンド型の「神戸ハイカラメロンパン」も久しく食べていません。


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まつ毛を読む
こうめいさんのところの記事に『鼻毛を読む』というのがありました。

「女が、自分におぼれている男の弱味につけこんで、自由にあしらうこと」 とか・・・。

今日の新聞に、
『まつ毛を読まれる』は、「だまされる」こと
『まつ毛を濡らす』は、「だまされないように用心する」という意味
と、出ていました。

鼻毛を読まれる前に、
まつ毛を読まれないようにしなくっちゃ。
先ずは、まつ毛を濡らすことにしましょう。(笑)




「仰げば尊し」もうこれは歌われていないのですか?
”ん十年ぶりの 「仰げば尊し」”というタイトルで、5月24日から6月3日にかけてブログを書かれたYOOさん (平野杳=HP:二人静)。親しくさせていただいている神戸在住の女流作家さんです。

勝手にそのブログからお話を引用させて頂いております。お許しのほどを・・・。(笑)


▽この歌を最後にうたったのは、はて何年前?
昨日、親しくお付き合いさせてもらっている年長の師匠友人の集まりの最初に、「仰げば尊し」をうたったんですよ。
うたっているうちに、幼いころからお世話になった先生がたの顔がつぎつぎに浮かんできました。
中学のときに技術家庭科の時間に横の友達とどうでもいいことを話していては「こら、手が動いとらん!」と頭をげんこつでぐりぐり罰された先生、「ずうっと先々まで、お山の大将にだっけはならんようにな」とにこにこ顔で言われた理科の先生も、やっぱり中学の先生でした。

・・・♪たがいに むつみし ひごろの おん
    わかるる のちにも やよ わするな
    みをたて なをあげ やよ はげめよ
    いまこそ わかれめ いざさらば♪・・・


涙がつつ~っと ぼろぼろ
なんで泣くんだろうね・・・・・

で、1番の歌詞を
"おもえば ひととし このとしつき" 
って覚えこんでいたんですが、
違ってまして、正しくは
"おもえば いととし このとしつき"
だったんですね。
いと疾し とっても速い、 だったのね、
と、何十年ぶりかに気づいた、土曜日の午後でした。


▽歌詞が問題なんだそうでして、とくに2番の、
"身を立て名をあげ やよはげめよ”
のところが、立身出世を薦めているのでだめだと。

全体の流れの中から、一部分だけをとりあげて、
難癖をつけるのって、どうかな、と思いますね。

そんなわけで、歌っても、2番を歌わないで、1番と3番だけを歌う場合が多いんだそうです。作詞者に失礼だよね~て、突っ込みをいれたいところです。


▽曲は、スコットランドの民謡だと、どこかで聞いたような気がしますが、当日いただいた譜には、作詞も作曲も未詳、とありまして、歌詞は、大槻文彦、里見義、加部巌夫が詞を練り上げたともいわれる、と参考にかいてありました。明治17年3月、「小学唱歌集(三)」に発表されたんだそうです。


"身を立て名をあげやよはげめよ"の歌詞が、立身出世をすすめているのでだめ、っていう意見、ずうっともやもやしていたんですよ。そういう意味とちがうんじゃないかな、でも、ちがうという根拠がないし、雰囲気だけで反論できないし、と・・・

今日、たまたま開いた『孝経』のはじまりに、あった!!んです。

・・・・・ 子(し)のたまわく、それ孝は徳のもとなり 教えのよって生ずるところなり ・・・・・ 身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは 孝の始めなり 身を立て道を行い 名を後世に揚げ もって父母を顕すは 孝の終りなり ・・・・・

立身出世が目的なのではないのですね。

"身を立て名を揚げやよはげめよ" は、おそらく、この『孝経』の一節をもってこられたんじゃないかな、と思うのですが・・・

ま、もっとも、『孝経』も『論語』も時代遅れだと言われるかもしれない今日このごろではありますが。


               ――以上YOOさんのブログから引用

     **********************

なかなか、難しいお話ですね。 それにこの「孝心」の訓訳だけでは、読解に難しく、もっとやさしい現代訳か注釈をつけてもらわないと、YOOさんの言わんとしているところが理解できません。少なくとも私のカボチャ頭では・・・。(笑)

そこで、もう少し私の頭の程度に合わせて分かりやすく解説してくれている塩谷温著「孝経新釈」(致知出版社)から抜粋・要約し引用した「孝心」を、東洋思想啓蒙家 中小企業診断士 白倉信司氏のHPより援用させて頂きました。

もっとも、問題になっている部分については、【通釈】の中の最後の述部だけなのですが、取りあえず、『孝経』の「開宗明義章第一」から、この話の経緯を分かりやすくするため最初の設問の主部も含め、答えとなる述部との二つに分けました。

※蛇足ながら、下の文中、仲尼(ちゅうじ)、夫子(ふうし)について加筆しますと:
夫子とは先生の尊称・敬称です。中国では夫子は孔子の敬称でもあります。因みに、孔子の姓は「子」、氏は「孔」、諱(いみな)は「丘」、字(あざな)は「仲尼」。そして孔子という時の子は先生という意味で、孔子の姓の「子」ではありません。すなわち、孔子(孔先生)を更に丁寧に言う時、孔夫子(孔先生)となります。
一般に先生の敬称としての夫子にあたる適切な日本語はありませんね。敢えて言うと大先生ですかね?あまりしっくりしませんが。また、尊師なんていうと例の新興宗教の教祖を思い出しますし・・・。(笑)

【訓読】(主部)
仲尼(ちゅうじ)居(きょ)し、曾子侍す。子曰く、「先王至徳要道あり。以て天下を順(したが)え、民用(もっ)て和睦し、上下怨み無し。汝之を知れりや」。曾子席を避けて曰く、「三不敏、何ぞ以て之を知るに足らん」。

【通釈】(主部)
孔夫子がおひまで家に居られた時、お弟子中の徳行家として名高い曾子が、そのおそばにかしこまって坐っていた。やがて夫子は、個人的に教育を施すよい機会とばかりに、曾子に向かっておもむろに口を開かれた。
「むかしの立派な君主たちは、極めて優れた御徳(おんとく)を身に備え、最も肝要な道を始終ふみ行わせられて、常に実践躬行(きゅうこう)によって、天下の人々を教え導き給(たま)い、人民はそのおかげによって、互いに和らぎ楽しみ、睦まじくし合うことが出来たので、上(かみ)は天子諸侯より、下(しも)は一般の人民に至るまで、皆相敬(あいけい)し相愛(あいあい)して、各々(おのおの)その身分に安んじ、天命を楽しんで、人を怨み己をかこつような者は少しもなかったということであるが、いったいそういう泰平のすがたを現出した源(みなもと)をなすところの、至徳要道とは、具体的にいえばどんなものであるかを、お前は知っているか」とおたずねになった。
曾子は、さてはまたありがたい御教(みおしえ)をうけることができることと、直ちに立ち上がり、今まで坐っていた席から少し退いて、「私、参(しん)の如き生来(せいらい)の愚鈍な者は、どうしてそのような高尚深遠な道徳などを心得ておりましょうか」と恭しくお答え申し上げて、是非ともご教示を賜りたいものでございますという熱心な態度を示した。
夫子は、その謙虚なしかもまじめな態度が、益々お気に召されたかのように、いよいよ一歩を進めて、詳細なご説明を試みられようとしたが、先ず第一に、この問題の根本義であるところの孝という字について、特に説きおこされた。



【訓読】(述部)
子曰く、「夫(こ)れ孝は徳の本(もと)なり、教えの由(よっ)て生ずる所なり。復坐せよ、吾汝に語らん。身体髪膚(はっぷ)、之を父母に受く、敢えて、毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは、孝の終わりなり。夫れ孝は親に事(つか)うるに始まり、君に事うるに中(ちゅう)し、身を立つるに終わる。大雅に云う、「爾の祖を念(おも)うことなからんや。その徳をのべ脩(おさ)む」と。

【通釈】(述部)
「およそこの孝というものは、あらゆる徳と称せらるるものの根本義をなすものであって、前に述べた至徳というものも、畢竟(ひっきょう)は孝に外(ほか)ならぬものである。故にこの至徳の根本が確立して後に始めて人のふみ行う道も生じてきて、従ってすべての教化というものも、これから起こってくるものである。即ち至徳といい、要道というも、皆この孝ということ以外にはないのである。まあもとの席にお坐り、ゆっくりとくわしくお前に説ききかせてあげようから」と仰(おお)せられて、最初には、人の一生中を通じた、孝道の大綱を挙げられ、順次にその一部一部の細かい説明に入(い)らせられるのであった。
先ず一番手近の所を捉えて語を続けられるよう、「さればといって孝というものは、必ずしもそんな高尚深遠なものと思い込むには及ばないのである。現に吾々がここに保持しているところの身体手足の大部(たいぶ)から、髪の毛皮膚(はだ)の細部に至るまで、これことごとく父母から賜(たまわ)り受けたものである。言い換えれば、父母の身体髪膚(はっぷ)の延長をおあずかり申しているようなものである。故にいやしくも人の子たる者は日常不断、注意に注意を重ねて、これを完全に保護し維持してゆくことを心がけねばならぬ。かの飲食物等の不摂生にもとづく疾病や、行動の無分別による毀損傷害の如きは、取りも直さず、わが親を病(や)まし傷つけるのと同様であるから、最も深く戒むべきことである。しかして又実際に、この事がそのまま孝道の第一歩に外ならぬのである。
孝道は誠に広大なものであるというのも事実ではあるが、同時に又極めて卑近なものであるというのも又事実である。この卑近な第一歩から踏み出して、社会に進み立ち、個人としても国民としても、円満完全な人格を備え、業務に精励(せいれい)して、まことに隣里(りんり)郷党(きょうとう)の模範と称えらるるのみならず、千載(せんざい)の後(のち)までもその名を青史(せいし)に輝かすと同時に、自らその父母の名をも伝え顕わすようになれば、わが身と共に父母の名誉もこの上ないことで、こうしてこそ孝道も十分に成就したものといって宜しいのである。
更にこれを取りまとめて言ってみると、孝道というものは、先ず第一に家庭にあって日夕(にっせき)両親にまじめに奉養(ほうよう)することから始まり、進んでは外にあって天子の忠良(ちゅうりょう)なる臣民として、よく身分に応じて職責を尽くし、国家の進運に貢献することに懸命となり、かくて忠孝両全(りょうぜん)の道を遂げた申し分のない人物となって、ここに完了を告げるものである」
と仰せられ、なおこの道理を一層深く理解させんがために、詩経の大雅(たいが)の一節を引いて示された。その詩の意味は、「およそ健全なる良心をもっている人々は、誰しも必ずわが家を興し伝えてくれた父母の偉業を思慕しないものがあろうか。そしてその追憶の念を動機として、自分もまたこれに対して恥じないように、家名を上げねばならぬとの自覚を強め、やがてわが身の徳を修め、人格をも高めてゆくこととなるのである」というのでやはり父祖に対する孝心が本となって立派な人物となる所以を述べたものである。
――塩谷温著「孝経新釈」




要するにですね・・・
 "身を立て名をあげ やよはげめよ” は、
社会に進み立ち 己れの人格を高め、そして村民の模範となればその名は後々の世にいつまでも輝くことになります。そうなれば家名を上げ、我が身と共に父母の名も広く同郷・近隣の村々に知れわたるところとなり、父母の名誉もこの上ないものとなるでしょう。こうあってこそ孝心を成したと言えるのですよ・・・。 
――ということなのでしょうか。

ふむ、ふむ。やはり父祖に対する「孝心」がもととなって立派な人物となる所以(ゆえん)を述べたものであるのでしょう。


それにしても、YOOさんはすごいところから仮説の論理を引っ張ってきましたね。凡人には、「立身出世」のことだからいけないと言われれば、何の疑いもなく、「ああそうですか」で終わってしまうところです。
また一つ賢くなりました。YOOさんありがとうございました。

> ま、もっとも、『孝経』も『論語』も時代遅れだと言われるかもしれない今日このごろではありますが。(YOO)

この『孝経』は、かつては詔勅によって、一家に一冊ずつおかれていたそうですが、YOOさんが、言われるように今は昔の話ですね。

でも、父母を敬うこと、いつの時代においてもとても大切なことですよね。

されど・・・・・
「親孝行――したい時に親はなし」ですか。 嗚呼・・・。






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